メディアとしての短歌

斎藤 佳奈


目次


キーワード: 音 共同性 柿本人麻呂


要旨

 従来、短歌研究は、文学的な視点からなされてきた。しかし、本稿では、メディア論的な視点から一貫して短歌を捉えたい。主にW.J.オングの『声の文化と文字の文化』に依拠して、短歌の歴史的な変遷を〈うたう〉から〈書く〉への移行として把握したいとおもう。
 まず、はじめに声の文化の特徴を説明し、つぎに文字をうたに取り入れたことによって、人びとの思考と表現がどのように変わったのかを確認する。そして、〈書くこと〉が内面化することによって、〈うた〉がどのように変化したのかを主題的にあつかう。とはいえ、短歌は基本的に〈うたう〉ものであり、それは現在でも変わらない。この了解を前提にしながらも、記紀歌謡と万葉集を取り上げて、〈うたう〉ことに対してのメンタリティーの違いを、メディア論的視点から明らかにしていきたい。


はじめに

 本論では、主にW―J・オングの『声の文化と文字の文化』に依拠して、短歌の歴史的な変遷を〈うたう〉から〈書く〉への移行としてみていきたいとおもう。オングは撮を次のように定義している。声の文化とは、「書くことをまったく知らない文化」(Ong[1999:5])のことであり、それは声としてのことばによって形成されている世界のことである。他方、書く文化とは、「書くことによって深く影響されている文化」(Ong[1999:5])のことであり、それは声の文化とは根本的に異なっている。
 まず、はじめに声の文化の特徴を説明し、その時代の〈うた〉がどのようなものだったのか、また、声の文化の生活世界と〈うた〉との関係を確認する。そのことによって、この時代の人びとが、〈うた〉をどのように捉えていたのかを知ることができる。つぎに、文字をうたに取り入れたことによって、人びとの思考と表現がどのようにかわったのかを確認する。そこでは、〈書くこと〉が内面化することによって、〈うた〉がどのように変化したのかを主題的にあつかう。
 従来、短歌研究は、文学的な視点からなされてきた。短歌が詩歌の一ジャンルである以上、それはもっともなことであるし、それはこれからも変わらないだろう。しかし、ここでは、メディア論的な視点から一貫して短歌を捉えたい。いい換えれば、声の文化または書く文化を知ることによって、より明確に短歌について理解することができる。たとえば、共同性から個人性へ、具体的な生活世界から抽象的な表現への変化、また、〈うた〉われていた時代、時代によって、社会もかわってくることが言える。つまり、ここでは、文学として短歌を捉えているのではなく、メディア論的な視点から短歌を捉えているのである。
 また、うたについては、記紀歌謡、万葉集を取り上げて〈うたう〉から〈書く〉への変化をみていこうとおもう。しかし、基本的には短歌というのは〈うたう〉ものであり、それは現在でも変わらない。だが、〈うたう〉ことに対して、記紀歌謡と万葉集ではそのメンタリティーがはっきりと違うのではないか。本稿では、この点を明らかにしていきたいのである。
 しかし、実際大きな変化というのは、やはり、印刷という技術がはいってきてからで、それによって短歌を〈うたう〉メンタリティーが決定的に変わってきていることが言える。本来的には、〈うたう〉、〈書く〉、〈印刷〉という三つのメディア論的な時代区分に応じた違いが明らかにできるのが理想なのだが、今回は、〈書く〉という技術が導入されたことによって、短歌にどのような変化がもたらされたのか、この点を明確にすることを課題とする。


1章 コミュニケーションメディアとしての神謡

 

言語は声に依存する

 〈書く〉ということがまだなかった時代、人びとは声としてのことばのみでコミュニケーションをはかっていた。そのことばがもっぱら声として機能している社会[口承社会](Ong[1999:20])では、思考様式や表現様式が文字に媒介されたそれらの様式とはまったく違っている。では、声の文化の人びとにとって、言語とはどのようなものだったのだろうか。その特徴を知ることによって、短歌の世界、ここでは記紀歌謡、初期の万葉をよりよく理解することができるだろう。
 まず、声の文化の人びとにとってことばとは、すべて声に依存したものだということである。つまり、声とは音声のことであり、音声は時間のかなでしか存在しない。そして、音声は、力を使わなければ、音としてひびくことができない。この意味で、すべての音声は、とりわけ口頭での発話は、生体の内部から発するのであるから、「力動的」である(Ong[1999:74])。このことは、表現の様式ばかりでなく思考過程をも決定している(Ong[1999:76])。
 声の文化においては、すぐ口に出るようにつくられた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなければならない(Ong[1999:78])。それらを具体的に列記すれば、つぎのようになるだろう。すなわち、強いリズムがあって均衡がとれている型にしたがったり、反復とか対句を用いたり、頭韻や母音韻をふんだり、形容句を冠したり、その他のきまり文句的な表現を用いたり、紋きり型のテーマごとにきまっている話しかたにしたがったり、だれもがたえず耳にしているために難なく思い出せ、それ自体も、記憶しやすく、思いだしやすいように型にはまっていることわざを援用したり、あるいは、その他の記憶をたすける形式にしたがったりすることである(Ong[1999:78])。これらのさまざまな諸形式は、たんなる表現上の形態なのではない。つまり、これらの表現は思考そのものの実質をなしていると考えられる。オングが明確に結論づけているように、声の文化における思考の本質は、まさにそうした定まった表現にあり、それがなかったら、少しでも思考を組み立てることは不可能なのである(Ong[1999:80])。
 さらにいえば、これらの表現形態を使うことは、経験を頭の中で整理することであり、それらは、文字のような永続性はないにしても、人びとの記憶装置としてそれなりに機能しているのである。人びとが生活のなかで経験をことばに置きかえることは、そのこと自体でその経験を思い出すてだてとなる(Ong[1999:82])。
 ことばが声として機能している社会において、人びとはどのようなコンテクストのなかで生活をしていたのだろうか。それは、当然にも、人と人とのやりとりのコンテクスト(声としてのことばにもとづくコンテクスト)のなかであろう(Ong[1999:145])。つまり、かれらは、そこで、何かを学んだり、経験したりしている。いい換えれば、声の文化とは「ことばに支えられた」ものである。この「ことばに支えられた」文化とは、行動の手順や問題へのとりくみかたが、ことばを効果的に使うことに、したがって、人間どうしのやりとりにずっと大きく依存している文化だといえる。さらにいえば、それは、ことばを介さず、多くは、もっぱら視覚的なしかたで事物のq観的なEから知識を入力するといったことには、ほとんど依存しない文化である(Ong[1999:145])。また、こうした世界では、すべての知識は、人間的な生活世界に多少とも密接に関係づけるようなしかたで、概念化し、ことばにしなければならない。つまり、外的で客観的な世界を、もっと直接に、身近に知っている人間どうしの相互関係になぞらえて概念化し、ことばにしなければならない(Ong[1999:94])
 こうして、口頭でのコミュニケーションは人びとを結びつけて集団にする(Ong[1999:147])。つまり、話されることばによって、広い範囲での人びとの一体性がかたちづくられるのである(Ong[1999:158])。
 声の文化において思考や表現様式などは音と時間に関係している。すべての音は、なんであれ、音を出すものの内部構造をとどめている(Ong[1999:153])。なかでも、人間の声は、人間の体の内部から出てくる。人間のからだが声の共鳴体をなしているのである(Ong[1999:153])。このような文化においては、音の現象学が人間の存在感覚の奥深くにまで入りこんでいる。というのも、ことばが経験されるしかたは、心的な生活のなかではつねに大きな意味をもっているからである(Ong[1999:155])。
 声の文化にもとづく思考と表現の特徴の大部分が、人間に知覚される音のエコノミーと分かちがたく結びついていることは明らかだろう。すなわち、統合し、中心化し、内部をつくりだす音のエコノミーである(Ong[1999:156])。
 内部をつくりだす音声としてのことばの力は、人間存在の究極の関心である聖なるものに特殊なしかたで結びついている(Ong[1999:158])。すなわち、それは聖なるもの[神]が人間に語りかけるものということである。たとえば、古代ヘブル語の「ダーバールdabar」は、ことばとできごとという異なった2つの意味をもっている。話されることばを直接示したこのことばとおなじようなことばが日本語にもある。周知のように、「コト」は「言」と「事」という字であらわされ、ことばとできごとを意味している。このことは、'共有的なうた’の箇所で詳しく説明するつもりだが、つまり、ことばには魔術的な力があり、それはことばが声として機能していた社会ではどこにおいてもみられる特徴なのである。 声の文化において、話されることばというのは音によって生みだされ、人と人との密接な関係において成り立っているのである。
 では、〈うた〉において、声の文化の特徴がどのようにあらわれているのか、そのことを次で説明したい。
 

声の文化としての神謡

 本章で、〈うた〉とよばれるものは神謡とやまとうたをさし、神謡とは、記紀歌謡をさすことにする。
 声の文化の特徴として、はなされることばは音に依存した言語であるということがあげられる。これは、〈うた〉の起源とされる神謡の時代において、〈うたう〉ことへの意識に、さらにその表現にもあらわれている。まずは、神謡の時代がどのような世界だったのかをとらえる必要があるだろう。
 〈うた〉を〈うたう〉なかで、自己の個別性をうたった〈うた〉はこの時代には存在しない。たとえ、個別的な感情を表していうるうたであっても、それが共有されていることを考えれば、それは単純に個人のうたとは言えないだろう。この点を少し考えてみたいとおもう。
 口承社会では、集団による生活が基本とされる。神謡の時代では、人びとの生活の場は村落共同体であり、そこではすべての知識を、「人間的な生活世界」(Ong[1999:94])から得ていたと考えることができる。そこにあっては、たとえば学ぶとか知るということは、知られる対象との、密接で、感情移入的で、共有的な一体化を成し遂げる、ということを意味する(Ong[1999:101])。これは、〈うた〉を〈うたう〉心的構造にもそのままあてはまるようにおもわれる。つまり、〈うたう〉ことによって、自己の個別性を共同性に転移しているのである(古橋[60:35])。
 古橋信孝によれば、神謡の時代において共同性とは神の世界だということになる(古橋[60:35])。では、神とはどのような存在なのか。村落共同体としての社会では、外界は未知の世界であり、畏怖をもってかんがえられた。その世界が神の世であり、それをそちら側の性格として表現したのが神である(古橋[60:40])。しかし、神のことばは人によって語られる。やまとうたの場合、音数律と繰り返しという構成が神のことばの標であった(古橋[60:42])。また、神謡というのは、神の一人称の、現在形で語られるものの事である(古橋[60:40])。つまり、やまとうたや記紀歌謡は音声としてのことばの力として、聖なるものが、ここでは神が、人間に語りかけてくれるものとして存立しているのである。
 表現構造のなかに、神のことばの標として、音数律と繰り返しを〈うた〉では取り入れているが、それらは、神のことばとして現されるのと同時に、記憶しやすい型にはめるという声の文化のより一般的な特徴でもある。声の文化にもとづく思考は、定型詩でない場合でも、非常にリズミカルになる傾向がある(Ong[1999:78-79])。神謡の段階では、まだ五七五七七の短歌形式は確立されていない。村落共同体という限られた社会においては、記憶しやすいように特有な型を効果的に用いらなければ、〈うた〉として共有されないのである。なぜなら、声の文化にもとづく思考と表現の構成要素は、たんにバラバラに存在するというより、より集まってひとまとまりになる傾向があるからだ(Ong[1999:86])。また、共有されるためには、みんながその〈うた〉を知っていなければならない(古橋[60:35])。知っているというのは、〈うた〉われてきた〈うた〉を聞いて覚えているという体験によるものである。しかも、一度きいただけで覚えられるわけではないから、何回か聞いているという、経験の積み重ねのうちに〈うた〉があるといえる(古橋[60:35])。この経験の積み重ねを、〈うた〉の表現の累積として考えることができる(古橋[60:35])。オングは、声の文化において、このような精神のことを保守的または伝統主義的ということばであらわしてる(Ong[1999:92])。
 声の文化にもとづく思考と話しの特徴の一つとして、冗長な言いまわしがあげられる。神謡には、この特徴を端的に示す〈うた〉がある。それは、万葉集以降にもみうけられるが、現代ではほとんどみることはできない。つまり、長歌がそれにあたる。
 思考はある種の連続性を必要としているが、口頭での発話においては、その連続性をつくりだすことが難しい。なぜなら、テクストのようなものが存在しないために、精神のそとにあともどりできるようなところがないからである。口頭の発話は、発せられるやいなや消えてしまうため(Ong[1999:89])、精神を、それまで論じてきたことがらから、注意をそらさないように、ゆっくりと前に進まなければならない(Ong[1999:89])のである。
 オングによれば、そうした冗長な言いまわしは、むだのないすじが通った言いまわしより、ある深い意味で、思考と話しにとってはいっそう自然なのだと言うことになる。そうしたすじが通った、つまり、分析的な思考と話しは、人工的な作品であり、書くと言う技術によって組み立てられたものである(Ong[1999:89])。いい換えれば、冗長な言いまわしをある程度除去するためには、書くと言う技術が必要である(Ong[1999:89])。つまり、声の文化を強く残していればいるほど、冗長なうたが多いと言えるのである。逆にいえば、書くことが内面化することによって、長歌形式は弱まっていくと言える。
 神謡においては、共同性が大きな位置を占めている。それは、人びとの生きる社会が、村落共同体として成り立っているからである。つまり、「状況依存的で操作的な準拠枠」(Ong[1999:107])において、〈うた〉は〈うた〉われているのである。
 声の文化のなかでは、概念が状況や操作を指し示すというしかたで用いられる傾向がある(Ong[1999:107])。こうした準拠枠は、人が生活している生活世界にまだ密着しているという意味で、抽象の度合いはきわめて小さい(Ong[1999:108])。つまり、具体的生活世界のなかから〈うた〉は生まれたのである。では、具体的生活世界から生まれる〈うた〉とはどのようなものなのか。〈うた〉のなかに含まれた意味にはどのようなものがあるのか。声の文化との関係から考えることにしたい。
 

共有的なうた

 声の文化のなかで生きている人間が、ことばを「記号」として、つまり、静止している視覚的な現象として考えることはまずない(Ong[1999:162-163])。ことばは、たえず動いているし、動きの中でも力に満ちた形式であるからだ(Ong[1999:163])。また、ことばには、しばしば魔術的な力があるともいわれている。
 村落共同体において存立する神謡は、まさに、ことばに魔術的な力があるという認識をもって〈うた〉われていたといえる。つまり、ことばを、人間や事物と切実な関係をもった、生きたものとして感じていたということである(豊田[1998:14])。しかも、村落共同体にとって〈うた〉とは、神のことばを装う、具体的な様式にのっとったものなのである(古橋[60:50])。では、神のことばとはなんなのだろうか。
 古代の村落共同体において、神とは、自分たちの理解を超えたものに対してもつ、とても気味の悪い恐ろしいもののことである。その恐るべきものは、村落共同体にとって、「かしこきもの」にほかならなかった。かしこきとは畏怖または畏敬に値するものである。このかしこきものが神である(谷川[1996:35])。しかし、そうした存在を、人間が装うことがなぜ可能だとされるのだろうか。その要点がことばである。当時、ことばには呪性があると考えられていた。さらにいえば、〈うた〉を〈うたう〉行為そのものは現実の世界でなされるのではなく、〈非現実的な世界〉でなされるのである。より正確にいえば、そこには日常の、現実の世界とは異なる、独特の意味空間が現出しているとみなされるのである。そのような空間で〈うたう〉ことによって、ある特殊な心的作用がはたらく。つまり、ことばになんらかの霊が憑く、またはやどるのである。これが、ひろく知られている言霊思想である。古代日本人は、ことばに内在する言語精霊が、その霊妙な力によって人の幸不幸も左右すると考えていた(豊田[1998:11])。
 では、言霊思想とはなんのだろうか。それは古代日本に特有なものなのだろうか。オングの理解では、それは声の文化の時代であればどこにでもみられる傾向の一つであるが、もともとは、あらゆる事物に精霊がやどるとした精霊信仰で、アニミズムの一つと考えることができるだろう。アニミズムとは、イギリスの文化人類学者、E・B・タイラーがはじめて唱え、宗教や信仰の生まれる根源において、動植物はもとより、言語その他いっさいの無生物にまで、人間と同じように人格的な「生気」があるという説である(豊田[1998:11])
 さて、すでにみたように、古代ヘブル語の「ダーバールdabar」は、ことばとできごとを意味している(Ong[1999:158])。これと同様の理解が言霊思想にもみることができる。言霊の「コト」も「言」と「事」の字であらわされ、ことばとできごとを意味している。文化人類学のマリノフスキーは、声の文化のなかで生きる人びとのあいだでは、一般的にいって、言語とは、行動の様式であり、たんに思考を表現する記号ではない、ということを明らかにしている(Ong[1999:74])。声の文化のなかで生きる人びとは、一様に、地名や名前(一種のことば)はものに力を吹き込むと考えている(Ong[1999:75])。つまり、それはことばへの霊能信仰から生じるもので、人自体とその名のみならず、神名・地名なども、そのもの自体と一体であるとみる特有な言事の融即観に起因する(豊田[19998:127])。
 ところで、村落共同体において、〈うた〉われる神謡にはどのようなものがあるのだろうか。ここでは、つぎの二つを確認しておきたい。まず、巡行叙事と名づけうる神謡があった(古橋[60:61])。これは神が住むべき土地を求めて巡行する(古橋[60:61])という意味で、その神が巡行の果てに選んだ土地が、現在の自分たちの村落であることの表現なのである(古橋[60:61])。つぎに、生産叙事の神謡をみよう。共同体として生活を営んでいる村落は、異郷から訪れた神に見出されたものと幻想された。そしてこの世を豊かにするさまざまな物も、同じように、神の世からもたらされたと幻想された(古橋[60:64])。このように、神が授けたものとして語る神謡が生産叙事の神謡である(古橋[60:64])。
 これらのことをふまえて、神謡とは、個人的な水準で表現されるものではなく、むしろ共有的な反応のなかにすっぽりとくるまれたものとして表現される(Ong[1999:101])と結論づけることができるだろう。つまり、それは、共有的な「たましい」にくるまれたものとして表現されるのである(Ong[1999:101])。


2章 〈うたう〉から〈書く〉へ

 

万葉集1(音の表現)

 ここからは、声の文化と書く文化のあいだに位置しているとおもわれる、『万葉集』について考察していく。まず、万葉集1では、初期の万葉の時代を「音の表現」として捉える。初期の万葉集の〈うた〉は声の文化を色濃く残している。したがって、ここでは〈音〉を基点として、〈うた〉の表現をみていくことになる。しかし、それは、おなじ声の文化でありながらも前章でみた神謡とは違う表現様式に発展しているのである。
 周知のように、ことばと音は切り離せない関係にある。とりわけ声の文化においては、ことばは音声にかぎられる(Ong[1999:76])。ことばにやどる精霊も声に出さなければ意味をなさないのである。そのために、神謡においては、呪性が〈うた〉を成り立たせていると言える。それを受け継いだのが万葉集ではないだろうか。
 たとえば、短歌には共同体的な意味を超えて〈うた〉を支える呪力そのものとなった、音の転換による序詞というものがある(古橋[60:109])。ここでは、音の転換によって歌を成り立たせている序詞をあげて、呪性をみることにする。
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき

多摩川にさらす手作り布がさらさら音立てているさらさら(ますます)どうしてこの児がこんなに愛しいのだろう            (古橋[60:109])

 前者は有名な東歌の一つである。後者は古橋による、その意味である。それを手がかりに考えることにしたい。多摩川に手作りの布をさらしているとさらさら音がする。そのさらさらという音が「さらにさらに(ますます)」という意味をもって下の句の男への思いを導いている(古橋[60:109])。この〈うた〉の構造は、韻律そのものと深くかかわっている。つまり、韻律なしに、このうたは成立しないし、他者へと伝わる可能性も存立しない。そして、韻律とは神謡の共同性の内実である(古橋[60:109])。
 声の文化において、記憶を再現するためには、すぐ口に出るようにつくられた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなければならない(Ong[1999:78])。枕詞とは、このような記憶のシステムと織り合わされたものなのである(Ong[1999:78])。枕詞とは、土地についてのものならば、その土地の伝承にかかわるものだったのである(古橋[60:141])。伝承にかかわるとは、伝承されているということによって、定まった表現、つまり、慣用表現を用いて共通の認識として成り立っているということである。ここでも、枕詞がたんなる修辞的意味を超えて、明確な共同性をもっていることをあらわしている。ある伝承の言語表現の一部が恣意的にえらばれて、地名との結びつきを固定的にもったのである(古橋[60:141])。つまり、共同性を象徴する、凝縮された表現として、枕詞はあったといえよう(古橋[60:141])。また、枕詞と地名の結びつきが必ずしも絶対的なものではなく、伝承に支えられてはじめて成り立つ表現であるといえる(古橋[60:141])。
 では、なぜ枕詞はあるのだろうか。それはどのような役割を果たしているのだろうか。地名から枕詞をみることにしよう。古橋によれば、神によって誉められた土地と、枕詞をあわせると始源の神の誉め詞となる(古橋[60:143])という。つまり、枕詞が成立した後、枕詞は土地の名に対して「始源の神の誉め詞」を喚起させる役割を担うことになった。いい換えれば、枕詞のついた地名は、そのことにおいて、その土地を誉めたことになるという構造である。現代の私たちの目には、こうした論理構造はそもそも成立しえないだろう。しかし、それが当時の人びとにおいて成り立つことにおいて、それは、共同性の表現であったということになる(古橋[60:143])。
 

万葉集2(言語表現)

 書かれたものが、ある特定の社会のなかに外部からはじめてもちこまれるとき、そうした書かれたものは、最初はかならず、ある限られた階層のなかにもちこまれ、さまざまな影響と含みをもつことになる(Ong[1999:194])。読み書きが限られている社会[つまり、少数の人間だけが読み書きできる社会]では、書かれたものは、不用意な読み手にとっては危険であり、読み手とテクストを仲介する導師のような人物が必要であると考えられている(Ong[1999:194])。
 〈うた〉において〈書く〉ことが定着するのは七世紀も末になってからのことと認められる(神野志[1998:8])。文字をもたなかった日本語が漢字を記載する段階に入るのは四、五世紀だが、漢字そのもので書くところからはじまって、漢字を飼いならして漢字で日本語を書くにいたるには、七世紀にはいってからであった(神野志[1998:8])。その〈書く〉ことが〈うた〉に及んだことを証明するのが、「人麻呂歌集」である(神野志[1998:8])。つまり、柿本人麻呂が〈書く〉ことを最初に取り入れた人物なのである。いい換えれば、〈うたう〉から〈書く〉への移行の始点に人麻呂が立っている。
 神野志孝光によれば、〈うた〉を〈書く〉ということが、〈うた〉のことばのより正確な細部までの表記にいたる(神野志[1998:24])。それは、ただ意味を伝えるだけではなく、〈うた〉という表現の性格そのものの要求であり、〈書く〉ことのなかでそれを明確に自覚していかなければならない(神野志[1998:24])。しかし、まだこの時代では、文字が深く内面化されていないことがわかる。万葉集において、文字が取り入れられた時期は、〈書く〉にあたって文字はただ当てはめていただけであった。それゆえ、万葉仮名には漢字に意味はない。漢字と意味とを対応させることに慣れている私たちからみれば、そして、視覚的な文字を含めた表現としてみるならば、それらはあまり美しいものではない。また、広く文字が定着する状態を「文字の文化」と考えるとすれば、〈書く〉ことが広く庶民にまで及んでいなければならないだろう。つまり、この時期はまだ声の文化に属していたのではないかと言える。
 しかし、共同性というものが声の文化では、重要な特徴的な形態である。声という時間性において成立する限られたコンテクストのなかでは、人びとはつねに共同体として結びついていかなければならない。また、くりかえしになるが、声の文化においては、ことばは音としてあらわされる。このことの意味は大きい。
 オングは、書くことによって、こころはみずからとまったく区別される外部の客体的な世界に対してだけでなく、その客体的な世界に対立する内面的な自己に対しても開かれるようになる(Ong[1999:218-219])と指摘する。つまり、書くことによって、〈私〉そのものが自己意識化するということである。自らのこころの表現としての〈うた〉、すなわち、個の抒情の〈うた〉の獲得は、そこではたされる(神野志[1998:24])。
 このように考えると、特徴的なのは、一回的なものとして限定した〈うた〉を、柿本人麻呂がうたっていることである。それは、自他の作者を区別しつつ、特定のある状況のもとで、一回的にありえたものとして限定する意識である(神野志[1998:24])。ここに、個の〈うた〉の確立の段階を迎えたのをはっきりとみることができる。個別的であること、それは同時に個人的である。人麻呂は、そうした水準でうたっている。また、柿本人麻呂は自身の〈うた〉で、「われ」を「吾等」と表記している(神野志[1998:24])。

 この「吾等」という表記は注目に値する。神野志によれば、「吾等」とは、共有される〈うた〉の状況において捉えるべきであり、場の抒情としてみるべきものである(神野志[1998:24])。この表記が示しているのは、それを意識化する次元にまできているということである(神野志[1998:24-25])。つまり、人麻呂は、「われわれ」にほかならぬ「われ」だと対象化し、自覚しているのである(神野志[1998:25])。これは、個のうたとしての意識をもちつつあるからそうできると言える(神野志[1998:25])と考えることができる。
 〈書く〉ことは[書かれたもの]は、話しを、声と音の世界から新しい感覚の世界、つまり視覚の世界へと移動させることによって、話しと思考をともに変化させる(Ong[1999:179])。こうして視覚の世界が中心に置かれることは、個の意識化なしには成立しないし、また、それが個別性の確立をさらに増進させることになる。
 

個別性の確立

 〈書くこと〉は人間の意識をつくりかえてしまった(Ong[1999:166])。柿本人麻呂によって〈書くこと〉としての短歌が確立され、なおかつ、一挙に頂点にまで引き上げられた万葉集の短歌は、以後、急激に個別的な分化の度合いを強めることとなる(芳賀[1998:32])。
 では、〈書くこと〉は何を始めたのだろうか。それは、たえず動いている音声を、静止した空間に還元し、話されることばが、そこでしか存在できない、生きた現在からことばを引き離してしまった(Ong[1999:173])ことを意味している。しかし、人間の精神という観点において、それゆえ短歌において、〈書くこと〉は、決定的に価値のある転換だといえるだろう。実際、人間の内的な潜在力を十分に実現するためには、なくてはならないものであるからだ(Ong[1999:174])。
 ところで、技術とは、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させるものでもある。そして、技術がことばにかかわるときほど、こうしたことが言えるときはない(Ong[1999:174])。たしかに、技術は人工的である。しかし、人工的であることは、人間にとって自然なのである(Ong[1999:175])。
 〈うたう〉から〈書く〉への移行は、共同性から個人性へと〈うた〉の水準を変化させる。つまり、文字によってなされるのではない〈うた〉というのは、口承の〈うた〉すなわち神謡を現し、文字の〈うた〉というのが和歌を現している(神野志[1998:8])と考えることができる。ただし、初期万葉は、やはり、基本的に口承の〈うた〉であるといわなければならないだろう


おわりに

 今回、メディアとしての短歌という題で研究を進めてきた。オングの『声の文化と文字の文化』で示されたメディア論的な視点をもとに、短歌の〈うたう〉から〈書く〉への移行をみてきたが、短歌の歴史的な変遷をメディア論的に捉えようとするならば、書く文化における活字文化(印刷)との関係もみておかなければならないだろう。なぜなら、活字文化は書く文化の完成態と言えるからである。それによって、短歌が今現在どのような形態にあるのか、いい換えれば、活字文化によってつくりだされた側面を色濃くもつ近代短歌の水準から、〈うたう〉ことの再評価を含む現代短歌への移行も明らかにすることができただろう。また、過渡期と考えられる『万葉集』に比べて、より〈書く〉水準への移行が明確になる『古今和歌集』以降の〈うた〉についても、やはりやる必要があったように思われる。


参考文献

Walter,Jackson・Ong[1982] ORALITY AND LITERACY The Technologizing of the Word,Methuen.=.[1999]桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳 『声の文化と文字の文化』
古橋 信孝[昭和60年] 『万葉集を読みなおす 神謡から'うた'へ』日本放送出版協会
豊田 国夫[1998] 『日本人の言霊思想』講談社
神野志 孝光・芳賀 紀雄[1998] 『和歌史 −万葉から現代までー』和泉書院
谷川 健一[1996] 『民族の思想』岩波書店