シュッツ・パーソンズ研究会 2003年11月16日/神戸大学
シュッツ科学論と「見識ある市民」――シュッツ科学論の二重性へ――
張江洋直
はじめに
01.現代社会を「社会化された科学を抱える社会」(村上,2000:34)と特徴づけることができる。村上陽一郎によれば、19世紀に誕生する科学とは「自己閉鎖性・自己充足性」(ibid.:15)を制度的特徴とする。簡略化していえば、当時の科学者集団には「クライアント」が存在していない。それゆえ、科学的な「知識の生産、蓄積、流通、消費、評価が、すべて科学者共同体、専門家集団の内部で行われている」(ibid.:16)。これに比して、第二次世界大戦をはさむ仕方で、科学の制度的側面は大きく変容する。端的にいって、国家あるいは資本が科学の「クライアント」として定着する。その帰結が科学の軍事化と商業化である。
02.こうした科学の歴史的社会過程の指摘を前提にするとき、科学者を「私心なき観察者の態度」と主唱するシュッツ科学論は、どこか前時代的な科学者像――「孤独な天才」モデルと映じたり、あるいは、科学(技術)の軍事/平和利用や商業化を取りざたする平坦な準位での倫理的要請と同等のものとして捉えられるかもしれない。そのいずれにせよ、それは牧歌的にみえる。だが、むろん、シュッツ科学論にそうした意味合いはない。私たちは、シュッツ科学論があくまでも意識の志向性分析の成果であること、くわえて、それが科学主義への鋭い批判を基柢的な位相から一貫して内包していることを重視したい。だが、現在もなお、シュッツ科学論が十全に理解されているとはいい難い。それはなぜか。
03. 本報告では、シュッツ科学論が被ってきた誤解と批判に応えつつ、そこに新たに「科学的活動」という領域を措定し、シュッツ科学論を二重性のうちに捉える可能性を呈示したいとおもう。そのために、従来は「知識の社会的配分」あるいは大衆社会状況への提言という側面から捉えられてきた「見識ある市民(The Well-Informed Citizen:1946年)」論文を「科学的活動」論として捉え直す試みを示したい。
1.シュッツ科学論への批判
01.概していえば、シュッツ科学論への批判の中心は、シュッツが示した「科学的態度」に関する議論の前景化によって成立している。しかも、それはシュッツ科学論、さらにはシュッツ現象学的社会理論への誤読や無理解、概念的混乱によっていると考えることができる。問題は、それがなぜ生じるのかにある。この点に関して、すでに浜日出夫はそれが「科学的態度」と「科学的活動」との混同によることを、M.リンチによるシュッツ科学論批判への反批判という場面で明確に呈示している(浜,1999)。じつは、「科学的態度」と「科学的活動」との混同による誤解や批判に関しては、浜も指摘しているとおり、すでにシュッツ自身が自らの社会科学方法論を開示する1953年の論考において、明確に注意を促している。
02.シュッツは社会科学者に特有の態度が、「社会的世界に対するあくまでも私心のない観察者のとる態度」であり、社会科学者は「自分の観察している状況に巻き込まれていない」(Schutz,1962:36=1983:89)と明記したうえで、以下の留意点を呈示する(1953年)。
ここで、ありがちな誤解を避けるためにひとこと注意が必要である。もちろん社会科学者も、かれの日常生活にあっては、人びとのあいだで生活している一人の人間であることに変わりはない。社会科学者もまた、それらの人びとと多くの仕方で相互に関係し合っている。そしてまたたしかに、科学的活動(scientific activity)そのものは、社会的に獲得された知識の伝統のなかで行なわれ、他の科学者たちとの協力にその基礎を置き、かれらとの相互確証と相互批判を必要とし、社会的な相互行為を通してはじめて伝達されうる。ただし、科学的な活動が社会的に基礎づけられているかぎり、それは社会的世界の内部で生起するそれ以外のすべての諸活動のなかにある一つの活動である。社会的世界の内部にある、科学と科学をめぐる諸問題を論じることと、科学者が自らの対象に向うさいに採用すべき独特の科学的態度(scientific attitude)とは、それぞれ別の事柄であり、私たちが以下で論究を試みるのは、後者に関してである。 (Schutz, 1962:36-37=1983:89-90)
03.こうしたシュッツの危惧はたんなる杞憂ではなかったが、かれが示した「科学的活動」と「科学的態度」とが混同される要因の一端はシュッツ自身にもあるといってよいだろう。というのも、周知のように、シュッツは後者に関しては繰り返し論述を開示しているものの、前者に関する主題的な分析は管見のおよぶ範囲ではみることができない(この点に関しては後述)。とはいえ、リンチによるシュッツ批判には「性急にすぎた」「エスノメソドロジーによる親殺し」(矢田部,1998163)という側面が指摘できる。それに比していうと、わが国の中心的なエスノメソドロジストの一人である山田富秋によるシュッツ批判は、シュッツの「科学的方法論の中に、とりわけ特に「適合性の公準」に新しい意味を見つけること」(山田,2000:40)が目指されており、そこには「親殺し」の性急さがないばかりか、すぐれた理論的直観力によるシュッツ解読がみられる。だが、それは、意識の志向性分析というシュッツ科学論の中軸的な論点を完全に等閑に附した〈改読〉と呼びうるものである。ここでは、山田によるシュッツ科学論批判を手がかりに、シュッツ科学論が被ってきた誤解や概念的な混乱がなぜ生じるのかを、浜とは別の角度から捉えることにする。
04.山田によるシュッツ科学論批判
山田は「「個性原理」の記述という非「対話」的」な「現在のガーフィンケル自身の立場」(山田,2000:12)を批判し、シュッツ理論の再措定を試みる。かれによれば、「現在の英米のエスノメソドロジストたちは不当にもシュッツを超越論的現象学者として位置づける傾向にある」(ibid.:11)。ところが山田の〈改読〉によれば、「シュッツはエスノメソドロジーの記述主義的な態度を越えて、日常生活の道徳的、政治的場面まで踏み込んでいた」(ibid.:64)と捉えられる。山田は、こうしたシュッツ像の実践論的な転回を図るために、シュッツの「多元的現実について」(1945年論文)を科学論として読み、そこに「よそもの」(1944年論文)に依拠した改変を加える。その要諦は、「シュッツの多元的現実論が超越論的現象学の残滓を引きずったきわめて独我論的な立場から論じられている」(ibid.:42)点に求められる。つまり、シュッツの理論的な構えでは、「超越論的自我を放棄して間主観的な世界の分析を行うという英断が不徹底なまま中途で挫折している」(ibid.:47-48)。いい換えれば、「シュッツは一方では間主観的な日常世界がコミュニケーション可能な唯一の世界であるとしながら、他方では日常世界のレリヴァンスをいっさい絶った、独我論的な科学的世界の存在を支持するという折衷的な立場を表明している」(ibid.:47)。山田はこうしたシュッツ科学論の「不徹底な折衷的な立場」が論点を不明確にしていることを指摘し、そのうえでさらに、「シュッツが実際の科学的活動を考えるとき、理論化を遂行する孤我をレリヴァンス・システムでもって代えたこと」(ibid.:54-55)を決定的な転回点とする。こうしたシュッツの〈レリバンス・システムとしての科学知〉という科学像から「科学的態度を解釈し直せば、それは科学者集団が歴史的に共同で形成してきた、拘束力をもった類型化の規則や手続きとして理解されることになる。それはクーンの「科学者共同体」に近い考えかたになるだろう」(ibid.:55)。
05.クロノロジカルに学説史を捉えれば、シュッツ科学論はTh.クーンのパラダイム論(Kurn,1962=1971)やN.R.ハンソンの「科学的事実の理論負荷性」(Hanson,1958=1986)といった、1960年代に興隆する〈新たな科学像〉にとって先駆的な位置を占めると考えることができる(張江,2000)。
「〔A.N.ホワイトヘッドによれば〕日常生活のなかで知覚されたことがらでさえも、単純な感覚呈示(a simple sense presentation)以上のものである」(Schutz[1962=1983:49])。
「純然たる事実(facts, pure and simple)というものは、厳密にいえば存在していない。事実とはすべてはじめから、われわれの精神の諸活動によって全体の文脈から選定されたものなのである」(Schutz[1962=1983:51])。
シュッツは「知覚的事実の理論負荷性」(杉山,1992)を明確に呈示している。
だが、こうした結論は、シュッツ科学論の中心である「科学的態度」論を廃棄することによってではなく、むしろ、その内在的理解を徹底した結果として得られるものである。この点の詳述は別稿(張江,2000:2002b)の参照を願うしかないが、ここでは、山田が論拠した「多元的現実について」論文に明記されている、ある留意すべきシュッツの記述を確認したい。
06.「科学的態度」と「科学的活動」との区別(1945年)
理論的な思惟はすべて、すでに定義した意味での「行為」であり、さらには「パフォー マンス」でさえある。……科学的な理論化は、それぞれ特有の目的動機と理由動機をもっている。……しかし理論的な思惟は、ワーキングという性質をもった行為ではない。それは、外的世界に関与はしていないのである。理論的な思惟は、たしかに……ワーキング行為(working acts)に基づいている。そしてまた理論的な思惟は、……ワーキング行為を通してはじめて伝達される。だが、ワーキングの世界の内部で遂行された、さらにその世界に属しているそれら諸々の活動はすべて、理論化の条件であるか、さもなければ理論化の帰結なのであって、理論的な態度それ自体に属するものではない。それら諸活動は、理論的な態度から容易に切り離されうるのである。同様にわれわれは、人びとの間で行為し自らの日常生活を営んでいる人間としての科学者と、……世界を支配することではなく、世界を観察することによって知識を獲得することに関心を向けている理論的な思考者とを、区別しなければならない。(Schutz,1962:246=1985:58-59)
2.シュッツ科学論の中心
01.周知のように、シュッツがその学的生涯において一貫して論究した主題とは、「理解社会学」――社会科学の哲学的−現象学的基礎づけであり、かれの方法論の中心をその特徴から「二次的構成論」と呼ぶことができる(張江,1991)。自然科学と社会諸科学との差異に関連づけながら、その骨子を確認しておきたい。
自然科学者が取り扱うべき事実、データ、出来事は、たしかに彼の観察領域の内に存 在 する事実、データ、出来事である。だがこの観察領域は、その内に存在する分子、原子、電子にとってはいかなる『意味』も有してはいない。/それに対して社会科学者の直面する事実、データ、出来事は全く異なった構造を有している。彼の観察領域である社会的世界は、その本質からして無構造ではない。社会的世界は、そのなかで生活し、思考し、行為する人びとにとって或る特定の意味と関連性の構造を有している。それらの人びとはこの社会的世界を日常生活のリアリティについての一連の常識的な構成概念によって社会科学者に先立ってあらかじめ選定し解釈している。……社会科学者の構成する思惟対象は、人びとの間で自らの日常生活を営んでいる人の常識的な思惟によって構成された思惟対象と関係しそれに基づけられている(be fouded upon)。したがって社会科学者の用いる構成概念は、謂わば二次的な構成概念である。(Schutz[1962=1983:52])
こうした自然科学と社会諸科学との差異に関連づけながら、シュッツが社会科学の方法的特性として呈示する「二次的構成概念」は、最終的には「人間型(puppets)あるいは人間模型(homunculi)」(ibid.:41=94)へと形象化される。こうした名辞で呼ばれる「行為モデル」は、むろん社会科学者が論理的に創りだしたものであり、それゆえ、それは「生まれたものではないし、成長することもない。……つまり人間模型は、自らのあらゆる営為の主たる動機としての不安を知ってはいない……。それは、自らの創造主である社会科学者があらかじめ措定している諸々の限界を、自ら行為することによって乗り越えうるという意味での自由をもってはいない」(ibid.)とされる。 こうした「人間型あるいは人間模型」は、それが科学であるかぎり、むろん恣意的に構成されてはならない。この当為命題に対応する要請が、謂わゆる〈三つの公準〉である。
02.こうした「二次的構成論」は1953年においてはじめて構成されたものではない。「社会的世界における合理性の問題」(1943年論文)にも同様の理路において「人間型(puppets)」や「人格的理念型(personal ideal types)」は「ヴェーバーが社会科学に導入した……〈理念型(ideal types)〉に対応する」(1943:81=120)ものとして登場しており、それはさらに1932年の「人格の理念型(personale Idealtypus)」(1932:344=325)へと遡ることができる。「二次的構成」を行なうさいに要請される諸公準のセットは、1953年と1943年とでは異なっている。後者では、1932年の『社会的世界の意味構成』(以降『意味構成』と略記)にも同様の指摘がみられる「主観的解釈の公準」と「適合性の公準」とは同一であるものの、「論理一貫性の公準」はそれとしては示されていない。しかし、内容面から考えてみると、それに該当する次のような「合理性の公準」の下位公準はみられる。「(a)形式論理学の諸原則との両立可能性が十分に保たれていること/(b)それらの諸要素が、十分、明晰かつ判明に捉えられていること/(c) 科学的に検証可能な諸仮説だけが含まれていること。しかもそれらの諸仮説は、われわれのもっている科学的知識の全体と十分に両立可能でなければならないこと」(1943:86=126)。こうした変遷がなぜ生じるのか、あるいは、なぜ1943年の「合理性の公準」が姿を消し、またなぜ1953年の「論理一貫性の公準」が下位公準としてではなく〈三つの公準〉の一つとして定立されたのか……などを現時点で十全に確定することはできないが、いずれにせよ、シュッツの「二次的構成論」が生活世界的準位からの類型化作用を基礎にした統一的なものとして、その方法論の通底音として一貫して論じられてあることは確認できる。
03.「変換公式」としての「諸公準」
「あらゆる科学は、科学を行なう人の特殊な態度を前提とする。すなわちそれは、私心のない観察者の態度である。そうした態度は、自らの生活世界のなかで素朴に生き、そしてそのなかですぐれて実践的な関心をもつ人のとる態度とはとくに区別される。だが、こうした態度への移行に伴って、生活世界の経験についてのあらゆるカテゴリーが或る根本的な変容を受ける。……方向づけの枠組としてもうひとつ別のゼロ点を置き換えるにつれて、それと同時に、素朴に生きる人にとって自明であったあらゆる意味関係が、彼自身の自我との関わりで、いまや或る根本的で特有な変容を受けたのである。各々の社会科学や文化科学……は、生活世界の諸現象がひとつの理念化過程(a process of idealization)を経て、それに応じてかたちをかえるようになる変換公式(the equation of transformation)を示さなければならないのである。」(1940:137-138=219-221)
@「私心のない観察者の態度」として示される《科学者の態度》
A「生活世界」と「科学的世界」との関係を《理念化過程》として捉える論点
これら両者は1940年論文に限定されるものではなく、むしろシュッツ方法論にとって1932年以来一貫したものだと考えることができる。たとえば、『意味構成』でかれは次のように書いている。「社会科学者たちは同時世界の観察者がそうしているのとまったく同じような定位を、社会的世界に対して行なう」(1932:314=308)。そこにある差異は、「社会科学自体には、……いかなる直接世界も与えられていないという事情」(ibid.)だけである。この論点は、1943年にも1953年にも同様にみることができる。
「われわれの誰もが、自分自身をその世界の中心と考え、自分の周りに自分自身の関心に従ってその世界を分類している……。だが、社会的世界に対する観察者の態度は、それとはまったく違ったものである。……この世界は、彼の活動の舞台ではなく、彼が囚われのない平静さをもって観察する観照の対象である。観察者は、(科学について論じている人間としてではなく)科学者としては本質的に孤独である。」(1943:81=119)
「人は日常生活において、自らを社会的世界の中心とみなし、その社会的世界をさまざまな親密性と匿名性の程度に応じて、自らの周りに層をなす形で分類している。だが社会科学者は、科学的観察者の私心のない態度をとろうと決意することによって……社会的世界における自らの生活史的状況から自分自身を解き放つのである。」(1953: 37=90)
《科学者の態度》が問題とされるのは、日常生活の「実践的関心」から科学的な「認知的関心」への移行そのもののなかに、シュッツが「社会的世界における本源的なパースペクティヴ性を脱中心化する」(張江[2000:347])契機をみているからである。「社会科学者は、社会的世界の内にいかなる『ここ』ももってはいない」(1953:39=92)といった命題も、むろん、この意味において理解されなければならないだろう。
04.関心の変更に基づけられた〈志向性の変容〉
ここでシュッツが問題としている問題領域は、「関心」の差異あるいは変更に基づけられた〈志向性の変容〉である。しかも、この論点は、ただちに第二の問題系に本源的に関与してくる。第二の論点は《生活世界と科学的世界との関係》を問題としている。ここでシュッツが呈示する、「生活世界の諸現象がひとつの理念化過程によって変形されるようになる」とする論理機制はシュッツ自身のそれというよりも、周知のように、晩年のE.フッサールによる学問論としての生活世界論のものである。シュッツが『ヨーロッパの危機と超越論的現象学』(以降『危機書』と略記)に論究するのは1940年論文がはじめてであり、また、『危機書』の雑誌公開は1936年ではあるが、この論理機制も1932年から一貫したものと考えてよいだろう。なぜならば、『意味構成』ではM.ヴェーバーの理念型に定位して、意味の本源性を確保する「社会的直接世界」からはじまり、より類型的な経験の相である「同時世界」や「前世界」への推移が一貫して〈志向性の変容分析〉といして為され、それを基礎としてシュッツは社会科学方法論を呈示しているからである。いい換えれば、丸山高司が適切に指摘しているように、『意味構成』では「社会科学が『意味基底』としての生活世界を『理念化』していく過程が、志向変様として解明されている」(丸山[1986:61])ということができる。
以上から明らかなように、シュッツの社会科学方法論の基本的な論理機制は、「生活世界」と「科学的世界」との相互関連づけとして捉えることができる。そして、「諸公準」とは、「生活世界の諸現象」=「一次的構成概念」を「科学的諸現象」=「二次的構成概念」へと変換するための「変換公式」である。むろん両者は、たんに連続しているのでもなければ、たんに切断されなければならないのでもなく、謂わば〈切断〉と〈連続〉とを同時に成立させる「変換公式」として呈示される。私たちには、こうしたシュッツ社会科学方法論において一貫して通底音を奏でる論理機制の骨子にいかなる問題性もみいだすことはできないようにおもわれる。だが、1945年論文には明らかな不協和音が存在する。
05.「多元的現実について」(1945年)論文の〈特異性〉
上記のように、シュッツ社会科学方法論は一貫して「二次的構成論」として把握可能であるが、1945年論文の論理機制はそれと明らかな方法的齟齬を示す。しかも、シュッツはそのことに、少なくともその公表時点において、方法的に自覚的ではなかった(張江,2002b)。このように考えてみると、端的にいって1945年論文をもってシュッツ科学論として措定するのには無理があるといえるのではないか。
「ここで限定的であるということのうちには、変換公式(a formula of transformation)を導入することによって或る意味領域を別の意味領域に関係づける可能性は、まったく存在していないという意味が含まれている。」(1945:232=41)
06.志向的相関者としての〈リアリティ〉という視点
もしも1945年論をシュッツの一連の議論から分離して考察するという流儀を採らないのであれば、そこから引き出されるべき論点は、志向的相関者としての〈リアリティ〉という視点であり、志向性の内実を構成するものとしてレリヴァンスを捉える視点であろう。
3.科学的活動の素描――「見識ある市民(The Welll-Informed Citizen)」
01.シュッツの「科学的活動」
すでにみたように、シュッツは「科学的活動」を「社会的世界の内部で生起するそれ以外のすべての諸活動のなかにある一つの活動である」(Schutz, 1962:37=1983:90)とする。
それをシュッツは具体的に、どのようなものとして描写しているのか。
「現代世界における人間生活の顕著な特徴は、自分の生活世界というものが、1つの全体としては自分自身にも、自分のどの仲間にとっても充分には理解のできないものだ、と自分が確信しているところにある。理論的には誰にでも利用可能な知識の集積があり、それは、実践的な経験、科学、テクノロジーによって、保証済みの洞察として、構成されている。しかし、この知識の集積は統合されているわけではない。それは多少とも整合性のある知識体系がたんに併置されているだけで、それらの知識体系自体のあいだには整合性がなく、お互いに両立可能でもない。それどころか、特殊専門化した知識体系にアプローチする場合、それぞれの体系ごとに違った研究態度が必要とされ、その研究態度のあいだにある深い溝それ自体が、特殊専門化した探求の成功の1つの条件ともなっている。」(Schutz,1964:120=1991:171)
この引用の直後にシュッツは「以上のことが、諸々の科学的探求の領野(fields)にとって真実だとすれば、そのことは実践的活動の諸々の領野にはなおのことあてはまる」と記している。ここから、上記の引用をシュッツが〈社会的世界の内部で生起する科学的活動〉として描写していると確言できる。
では、そうした科学的活動はより具体的にどのような相貌で現出するのか。この点を把握しうるためには、1946年論文の基本設定にある3種の理念型をみなければならない。
02.3つの理念型――専門家(expert)・市井の人(man on the street)・見識ある市民(well-informed citizen)
ここで構成された「専門家」は科学的活動の担い手である科学者と同値ではないが、それを含むものと考えられる。よって、これ以降は、「専門家」に関する記述はすべて〈科学的活動の担い手である科学者〉のものとして捉える。
・「3つの理念型」と自明性の領域
「知識の3類型は、事物を自明視する準備された状態(readiness)にちがいがみられる。」(123=175)
The three types of knowledge discussed above deffer in their readiness to take things for granted.
Readiness: the state of being ready or prepared
〈関心と関連性〉によって、自明的な世界の現出領域は異なってくる。
03.専門家=〈科学的活動の担い手である科学者〉はどのような知識の担い手として現出するのか。
専門家の知識の領野は限定されているが、その領野内での知識は明晰かつ判明的である。専門家の見解は、保証済みの主張(warranted assertions)に基いており、かれの判断はたんなる当て推量とか不確かな思いつきではない。(122=173)
専門家は、自分の専門分野に属する問題のもつ専門的方法や含意はすべて、専門家仲間にしか理解されないということをより知っている。したがって専門家は、素人とか好事家を、自分の遂行した行為の権限ある審査員として決して受け入れないだろう。(123=175)
専門家とは、賦課的な関連性の体系(a system of imposed relevances)――ここで賦課というのは、自らの分野内において前もって確立している諸問題によって賦課されたという意味であるが――にのみもっぱら親しんでいる人のことである。あるいは、より正確にいえば、かれは専門家になろうと決心することで、自らの分野内において賦課された諸々の関連性を、自らの行為と思考の固有内在的関連性として、しかも唯一の固有内在的関連性(his field as the intrinsic, and the only intrinsic,relevances of his acting and thinking)として受け容れてきたのである。ただし、この分野は厳密に限定されている。たしかに、境界的な問題やかれの特定分野外の問題さえも存在する。だが、専門家は、そうした問題はそれに関心をもっているとおもわれる別の専門家に任せようとする傾向がある。専門家は、自らの分野内で確立している諸問題の体系が関連性をもっているという想定からだけでなく、それのみは唯一の関連性体系であるとの想定から出発する。専門家のあらゆる知識は、明確なかたちで確立されてきたこの専門分野という準拠枠に関係している。そのような準拠枠を自らの固有内在的な諸関連の独占的体系として受け容れない人は、言説の世界を専門家と分有しない。かれが専門家の助言に期待できることは、所与の目的を達成するための適切な諸手段をたんに指示してもらうことだけであって、目的そのものを決定してもらうことではない。(130=183-184)
04.社会的に獲得された知識(social derived knowledge)
私たちの「実際的および潜在的知識の内きわめて僅かのものだけが自らの経験の内に起源をもつ」のであり、その「大部分は、自らではなく、私たちの仲間、同時代者たち、もしくは先行者たちがすでにもっていた諸経験の内にあり、かれらがそうした諸経験を私達にコミュニケートし、手渡してきたものである」(131=185)。
社会的に獲得された知識の伝達に関する4つの理念型(182-183=186-187)
目撃者・部内者・分析者・解説者
05.社会的に是認された知識(socially approved knowledge)
「社会的に是認された知識」は「社会的に獲得された知識にある程度対峙している」(133=187)。
「社会的に是認された知識は、威信と権威との源泉である。それはまた、世論の発祥地でもある。専門家ないしは見識ある市民として社会的に是認された人だけが、専門家ないしは見識ある市民だとみなされる。」(134=188)
「現代において、社会的に是認された知識は、その基柢にある固有内在的な関連性と賦課的な関連性の体系に取って代わろうとする傾向がある。」(ibid.)
06.以上、シュッツからの引用を続けてきた。ここからいいうることは何か。
・ここで描かれた「専門家」=科学者像は、前時代的な「孤独な天才」モデルとはなんら関与しない、すぐれて現代的なものではないか。
・シュッツは、科学知が「専門家的知識」(122=174)として、それゆえ、それがややもすると「社会的に是認された知識」として現出することを捉えている。それは、「威信と権威との源泉」である。つまり、その内実を吟味されることもなく、権威づけられた「専門家的知識」は「市井の人」たる大衆に受容されていく。いったん作動された「専門家的知識」はあたかも自動機械の如く、その結論へと向かって邁進する。だが、そもそも専門家的知識とは、すでにシュッツが自ら語っているように、目的を措定しうるものではない。それを設置しうるのは、「見識ある市民」による。
・以上のように、科学的知を権力という地平において考察するシュッツの「科学的活動論」は、科学的知が権力を内包させるといったラディカルな科学像ではない。シュッツの科学者像は、すでにみたように、「世界を支配することではなく、世界を観察することによって知識を獲得することに関心を向けている理論的な思考者」(Schutz,1962:246=1985:59)というものであって、あえていえば、それは常識的な了解とかなり近いものだろう。だが、それと、こうした科学者によって産出された科学的知が「社会的世界の内部で生起する諸活動」の一貫として「社会的に是認された知識」となりうることとは、まったく別途の問題であろう。
・くり返しになるが、シュッツ科学論は、科学的知が権力として現出する機制を科学知の内的機制として描くことはない。だが、科学的知がそれ独自の機制において成立することと、そうした科学的知が社会過程において「威信と権威」の相において現出することとは別の案件ではあるまいか。20世紀中葉に制度化された「社会化された科学を抱える社会」が示す科学的知の軍事化・商業化から越出する途を模索する現代だからこそ、科学的知を権力としてただちに断罪する〈ラディカルな途〉を歩むよりも、それを「社会的に是認された知識」として現出する、いい換えれば、科学的知の機制とは異なった「知識の社会的配分」に関する機制として捉えるシュッツの「科学的活動論」の存在意義は大きいとおもえる。
文献
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| Schutz,A | 1932 |
Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt, .[Suhrkamp, 1974].=1982 佐藤嘉一訳『社会的世界の意味構成』木鐸社 |
| 1962 | Collected Papers I, Nijhoff.=1983 渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集第1巻 社会的現実の問題[T]』マルジュ社:1985 渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集第2巻 社会的現実の問題[U]』マルジュ社 | |
| 1964 | Collected Papers U, Nijhoff.=[1991] 渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集第3巻 社会理論の研究』マルジュ社 | |
| 山田富秋 | 2000 | 『日常性批判』せりか書房. |
| 矢田部圭介 | 1998 | 「意味とワーキング」西原和久・張江洋直・井出裕久・佐野正彦編『現象学的社会学は何を問うのか』勁草書房 144−166. |