日本社会学史学会2001年度大会 「自由報告1」2001623
岡山県立大学(総社校舎・学部共通棟)

 

「二次的構成論」と「多元的現実」
――A・シュッツの1943年と1953年のあいだ――

張江洋直(稚内北星学園大学)

 

はじめに
     
シュッツ社会理論の全体像はいまだ確定化されてはいない。この現況理解の説明からはじめたいとおもう。ここで20世紀後半の社会学的認識空間を簡略に示せば、「規範的パラダイムと解釈的パラダイム」(Wilson,1970)あるいは、「パーソンズの『機能』学派とシュッツをはじめとする『意味』学派の対立という図式」(西原[1996:114])とすることができる。1960年代に顕現化するこうした社会学的思潮動向は、たしかに〈シュッツの発見〉(張江[1991])そのものを促し、またそのことを通じるなかから、「その区分に依拠するにせよ、またそのような二分論を乗りこえようとするにせよ、今日の社会学理論一般の議論の出発点となってきた」(片桐[1993:271])ということができる。しかし、〈シュッツの発見〉を可能とし、またそのことを通じるなかから構成されてもきたこの認識空間そのものによって、却ってシュッツは呪縛されてあるのではないか。そうであれば、シュッツ社会理論の全体像はいまだ確定化されてはいない。本報告では、こうした了解のうえで、シュッツ社会理論の中軸をなすと考えられる「二次的構成論」と「多元的現実論」とを、あくまでも学問論−社会科学方法論の文脈で対比的にとりあげる。いい換えれば、両者の理論的な関連を前者の文脈において考えてみたいのである。管見の及ぶ範囲で語れば、両者の関係づけをシュッツは明言してはいない。だが、そうであるにも拘わらず、両者はその理論的な深部において連結されてあると考えられてきたといえるかもしれない。たとえば、那須壽はそれらの関係を「シュッツが定式化した社会科学的構成概念のための諸公準……をめぐる彼の議論は『多元的現実』をめぐる彼の議論によって支えられており、そして多元的現実をめぐる議論は、翻って、生活世界に関する前述語的ならびに述語的な体験をめぐる彼の議論によって基礎づけられている」(那須[2001:95])と定式化している。私たちは、こうした明瞭な論定を「速断」として批判したいのではない。というのも、じっさいにシュッツが社会科学方法論を主題的に論じているいくつかのテクストでは、そうした理路が明示化されてあるからである。しかし、たとえそうであるからといって、それでただちに、両者の関連が明確化されたことになるわけではないだろう。むしろ、私たちがみるかぎりでは、「多元的現実」を徹底して主題的に論究するさいに〈方法論的な齟齬〉とでも呼ぶべき事態が生起しているようにおもわれるのである。本報告の主題はそこにある。
    さて、「二次的構成論」を論じる場合、1953年の「人間行為の常識的解釈と科学的解釈」(以降1953年論文と略記)を主要テクストとしてとりあげるのが通例であるとおもわれる。というのも、シュッツが呈示する社会科学における二次的構成概念のための諸公準のセットは、内容的には多分に重複はするものの用語法としては年代的に若干の変遷がみられ、それが安定するのは、「論理的一貫性の公準」「主観的解釈の公準」「適合性の公準」からなる謂わゆる〈三つの公準〉が呈示されるこの論考以降だからである。ちなみに、その翌年である1954年の「社会科学における概念構成と理論構成」においてもこの〈三つの公準〉は用語法においてもそのまま踏襲されている。だが、さらに本報告では、1953年論文に加え、1943年の「社会的世界における合理性の問題」(以降1943年論文と略記)をも合わせて論議したい。そこで私たちが注目したいのは、これら両テクストにみられる一貫性・連続性である。
   また、シュッツが「多元的現実」を主題的に論じたものとしては、1945年の「多元的現実について」(以降1945年論文と略記)1955年の「シンボル・現実・社会」の二編がひろく知られている。しかし、本報告は、両テクストを統合的に捉え、「シュッツの多元的現実論」を呈示することを目的としてはいない。本報告では、前者のみを「学問論」として読解する。いい換えると、本報告では、1943年と1953年というシュッツ方法論の文脈に、1945年の「多元的現実について」テクストを置き、そのことによって、シュッツ方法論において、なにが問題とされなければならないのかを見定めたいとおもう。

 

1.シュッツの「二次的構成論」――1943年と1953年の通底音
    周知のように、シュッツがその学的生涯において一貫して論究した主題とは、「理解社会学」――社会科学の哲学的−現象学的基礎づけといえよう。そうしたシュッツの方法論、あるいは「基礎づけ」を要諦とするのであればむしろ社会科学基礎論の中心をその特徴から「二次的構成論」と呼ぶことができる(張江[1991][2000])。まず、その骨子を確認しておきたい。

      「自然科学者が取り扱うべき事実、データ、出来事は、たしかに彼の観察領域の内に存 在する事実、データ、出来事である。だがこの観察領域は、その内に存在する分子、原子、電子にとってはいかなる『意味』も有してはいない。/それに対して社会科学者の直面する事実、データ、出来事は全く異なった構造を有している。彼の観察領域である社会的世界は、その本質からして無構造ではない。社会的世界は、そのなかで生活し、思考し、行為する人びとにとって或る特定の意味と関連性の構造を有している。それらの人びとはこの社会的世界を日常生活のリアリティについての一連の常識的な構成概念によって社会科学者に先立ってあらかじめ選定し解釈している。……社会科学者の構成する思惟対象は、人びとの間で自らの日常生活を営んでいる人の常識的な思惟によって構成された思惟対象と関係しそれに基づけられている(be  fouded upon)。したがって社会科学者の用いる構成概念は、謂わば二次的な構成概念である。」(1953:6=52)

 こうした自然科学と社会諸科学との差異に関連づけながら、シュッツが社会科学の方法的特性として呈示する「二次的構成概念」は、最終的には「人間型(puppets)あるいは人間模型(homunculi)(1953:41=94)へと形象化される。こうした名辞で呼ばれる「行為モデル」は、むろん、社会科学者が論理的に創りだしたものである。それゆえ、「人間模型は生まれたものではないし、成長することもない。……つまり人間模型は、自らのあらゆる営為の主たる動機としての不安を知ってはいない……。それは、自らの創造主である社会科学者があらかじめ措定している諸々の限界を、自ら行為することによって乗り越えうるという意味での自由をもってはいない」(ibid.)とされる。
    こうした「人間型あるいは人間模型」は、それが科学であるかぎり、むろん恣意的に構成されてはならない。この当為命題に対応する要請が、謂わゆる〈三つの公準〉である。簡略にいってしまえば、〈三つの公準〉あるいはよりひろく「社会科学的構成概念のための諸公準」は、基本的に「生活世界」=「一次的構成概念」と「科学的世界」=「二次的構成概念」との〈切断〉と〈連続〉という相反する関係づけを基軸に設定されているとみることができる(張江[2000:349])(なお、この点に関しては後論する。)
    さて、シュッツのこうした「二次的構成論」は1953年においてはじめて構成されたものではない。1943年論文にも同様の理路において「人間型(puppets)」や「人格的理念型(personal ideal types)」は「ヴェーバーが社会科学に導入した……〈理念型(ideal types)〉に対応する」(1943:81=120)ものとして登場しており、それはさらに1932年の「人格の理念型(personale Idealtypus)(1932:344=325)へと遡ることができる。既述したように、「二次的構成」を行なうさいに要請される諸公準のセットは、1953年と1943年とでは異なっている。後者では、1932年の『社会的世界の意味構成』(以降『意味構成』と略記)にも同様の指摘がみられる「主観的解釈の公準」と「適合性の公準」とは同一であるものの、「論理一貫性の公準」はそれとしては示されていない。しかし、内容面から考えてみると、それに該当する次のような「合理性の公準」の下位公準はみられる。「(a)形式論理学の諸原則との両立可能性が十分に保たれていること/(b)それらの諸要素が、十分、明晰かつ判明に捉えられていること/(c) 科学的に検証可能な諸仮説だけが含まれていること。しかもそれらの諸仮説は、われわれのもっている科学的知識の全体と十分に両立可能でなければならないこと」(1943:86=126)。こうした変遷がなぜ生じるのか、あるいは、なぜ1943年の「合理性の公準」が姿を消し、またなぜ1953年の「論理一貫性の公準」が下位公準としてではなく〈三つの公準〉の一つとして定立されたのか……などを現時点で十全に確定することはできないが、いずれにせよ、シュッツの「二次的構成論」が生活世界的準位からの類型化作用を基礎にした統一的なものとして、その方法論の通底音として一貫して論じられてあることは確認できるだろう。そうであれば、続いて私たちは、シュッツによる「諸公準」が学問論的準位においてなにを意味するのかを確認することにしたい。

 

2.「変換公式」としての「諸公準」――シュッツ方法論の基本的な論理機制

  ここで1940年の「現象学と社会科学」(以降1940年論文と略記)を手がかりにしたいとおもう。なぜなら、現象学に定位したシュッツ社会科学方法論を概括するこのテクストで、シュッツは「諸公準」をそれとしてはいまだ呈示しておらず、だが、そのことによって却って「諸公準」とはなんであるのかという問題の所在が明確に論じられているからである。 

「あらゆる科学は、科学を行なう人の特殊な態度を前提とする。すなわちそれは、私心のない観察者の態度である。そうした態度は、自らの生活世界のなかで素朴に生き、そしてそのなかですぐれて実践的な関心をもつ人のとる態度とはとくに区別される。だが、こうした態度への移行に伴って、生活世界の経験についてのあらゆるカテゴリーが或る根本的な変容を受ける。……方向づけの枠組としてもうひとつ別のゼロ点を置き換えるにつれて、それと同時に、素朴に生きる人にとって自明であったあらゆる意味関係が、彼自身の自我との関わりで、いまや或る根本的で特有な変容を受けたのである。各々の社会科学や文化科学……は、生活世界の諸現象がひとつの理念化過程(a process of idealization)を経て、それに応じてかたちをかえるようになる変換公式(the equation of transformation)を示さなければならないのである。」(1940:137-138=219-221)

 私たちはここで、すでに「諸公準」とはなんであるのかを確認することができるのだが、その理解を十全なものにするために、それは後論に委ね、さらにシュッツ方法論の基本的な論理機制をみておきたいとおもう。さて、ここでのシュッツの議論の中心は、絡み合ってひとつの論点を形成しているとはいえ、分析的には2つに整理することができる。その第一は、「私心のない観察者の態度」として示される《科学者の態度》に関するものであり、第二は、「生活世界」と「科学的世界」との関係を《理念化過程》として捉える論点に関わっている。だが、これら両者は1940年論文に限定されるものではなく、むしろシュッツ方法論にとって1932年以来一貫したものだと考えることができる。たとえば、『意味構成』かれは次のように書いている。「社会科学者たちは同時世界の観察者がそうしているのとまったく同じような定位を、社会的世界に対して行なう」(1932:314=308)。そこにある差異は、「社会科学自体には、……いかなる直接世界も与えられていないという事情」(ibid.)だけである。この論点は、1943年にも1953年にも同様にみることができる。

 「われわれの誰もが、自分自身をその世界の中心と考え、自分の周りに自分自身の関心に従ってその世界を分類している……。だが、社会的世界に対する観察者の態度は、それとはまったく違ったものである。……この世界は、彼の活動の舞台ではなく、彼が囚われのない平静さをもって観察する観照の対象である。観察者は、(科学について論じている人間としてではなく)科学者としては本質的に孤独である。」(1943:81=119)

   「人は日常生活において、自らを社会的世界の中心とみなし、その社会的世界をさまざまな親密性と匿名性の程度に応じて、自らの周りに層をなす形で分類している。だが社会科学者は、科学的観察者の私心のない態度をとろうと決意することによって……社会的世界における自らの生活史的状況から自分自身を解き放つのである。」(1953: 37=90)

 《科学者の態度》が問題とされるのは、日常生活の「実践的関心」から科学的な「認知的関心」への移行そのもののなかに、シュッツが「社会的世界における本源的なパースペクティヴ性を脱中心化する」(張江[2000:347])契機をみているからである。「社会科学者は、社会的世界の内にいかなる『ここ』ももってはいない」(1953:39=92)とシュッツが語るのも、むろん、この意味において理解されなければならないだろう。そのうえで私たちは、ここでシュッツが問題としている問題領域が、こうした「関心」の差異あるいは変更に基づけられた〈志向性の変容〉であるという点に留意しなければならないだろう。というのも、この論点は、ただちに第二の問題系に本源的に関与してくるからである。
    さて、第2の論点は《生活世界と科学的世界との関係》を問題としている。ここでシュッツが呈示する、「生活世界の諸現象がひとつの理念化過程によって変形されるようになる」とする論理機制はシュッツ自身のそれというよりも、周知のように、晩年のE.フッサールによる学問論としての生活世界論のものである。シュッツが『ヨーロッパの危機と超越論的現象学』(以降『危機書』と略記)に論究するのはこの1940年論文がはじめてであり、また、『危機書』の雑誌公開は1936年であるが、この論理機制も1932年から一貫したものと考えてよいだろう。なぜならば、『意味構成』ではM.ヴェーバーの理念型に定位して、意味の本源性を確保する「社会的直接世界」からはじまり、より類型的な経験の相である「同時世界」や「前世界」への推移が一貫して〈志向性の変容分析〉といして為され、それを基礎としてシュッツは社会科学方法論を呈示しているからである。いい換えれば、丸山高司が適切に指摘しているように、『意味構成』では「社会科学が『意味基底』としての生活世界を『理念化』していく過程が、志向変様として解明されている」(丸山[1986:61]ということができるからである。
 
以上から明らかなように、シュッツの社会科学方法論の基本的な論理機制は、すでに「二次的構成論」を概観したさいに確認されてあることではあるが、「生活世界」と「科学的世界」との相互関連づけとして捉えることができる。そして、「諸公準」とは、「生活世界の諸現象」=「一次的構成概念」を「科学的諸現象」=「二次的構成概念」へと変換するための「変換公式」なのである。むろん両者は、たんに連続しているのでもなければ、たんに切断されなければならないのでもなく、謂わば〈切断〉と〈連続〉とを同時に成立させる「変換公式」として呈示されるのである。私たちは、こうしたシュッツ社会科学方法論において一貫して通底音を奏でる論理機制にいかなる問題もみることはできない。しかし、私たちがみるかぎり、1945年には明らかな不協和音が存在する。

 

3.学問論としての「多元的現実について」――「伝達のパラドクッス」は克服されたのか

  周知のように、シュッツが上記の基本的な論理機制を徹底化させ、「日常生活の世界」と「科学的世界」へと述語化して明確に定式化してみせたのは1945年の「多元的現実について」である。それゆえ、それは既述したシュッツの論理機制をより明確化したものとみえるかもしれない。だが、1943年と1953年のあいだには、つまり1945年には決定的な異質性がみられる。しかも、それはシュッツ自身が直面した問題系として呈示されてある。シュッツはそれを「弁証法的な問題」(1945:253=67)と呼び、次の二点に要約している。

   (1)理論化する孤独な自己は、いかにして働きかけの世界(the world of working)に接近することができるのか。そしてまたいかにして、働きかけの世界を理論的観照の対象にすることができるのか。(2)理論的な思惟はいかにして伝達されうるのか。そしてまた理論化それ自体は、相互主観性のもとでいかにして遂行されうるのか。」(1945:253=67)

 第一の「弁証法的な問題」は「私心のない観察者の態度」に関わっている。だが、すでにみたように、「社会科学者は、社会的世界の内にいかなる『ここ』ももってはいない」と語るシュッツはそこでいかなる「弁証法的な問題」にも直面してはいなかったはずである。では、なぜシュッツはここで、つまり1945年に「弁証法的な問題」に直面せざるをえなかったのだろうか。私たちはこの問いに答えるに先立って、シュッツ自身による第一の問題への解決策を確認しておくことにしよう。シュッツはそれを「間接伝達」あるいはそれに「匹敵する……社会科学の方法と呼ばれる……人為的な方法」(1945:255=69)に求めている。では、その「人為的な方法」とはなにか。ここでシュッツが呈示するのは「人間型(puppets)」であり、それをめぐる「ある明確な操作上の諸規則」に関しては1943年論文を注記で指示している。シュッツのこうした記述の仕方から推論できることは、かれ自身が1945年において1943年論文との一貫性を意識していたということである。だが、かれが参照を指示する1943年論文、あるいはその後の1953年論文においても、こうした問題系はそれとして扱われてはいない。それはなぜなのだろうか。私たちには、それがたんなる紙幅からくる省略や割愛などの問題などではなく、ある決定的な問題了解の差異に起因しているとおもえるのだが、その問題はいったん脇に置き、さらに第二の「弁証法的な問題」の吟味に移行したいとおもう。第二の問題には二つの相があることをシュッツは指摘している。

   「先の弁証法的な問題……は、社会性はいかにして理論化の研究主題になりうるのかという問題に限定されるものではなく、より一般的に、理論化それ自体の社会性に関係している。」(1945:255-256=70)

 シュッツは自らが直面したこうした問題状況を「伝達のパラドクッス」(1945:257=72)と名づけ、「この問題の特定の形態」としてE.フィンクが呈示する「現象学的問題群を絶えず暗ましている三重のパラドックス」(Fink[1933=1982:85])の「最初の二つ」を吟味している。その第一は「表明の状況のパラドックス」であり、「第二の……パラドックスは、最初のパラドックスのうちに根拠をもっている……現象学的命題のパラドックス」(ibid.85-86)である。とくにシュッツの関心をひくのは第二のパラドックスである。「それは、伝達する現象学者が唯一自由に使用することのできる、ムンダンな(mundane)世界の諸概念や言語に関係している」(1945:257=71)。ここでシュッツはフィンクの見解を批判しているのだが、そこでなにが問題とされているのかを確認するために、フィンク自身の言説を一瞥しよう。

  「このパラドックスは何よりもまず、伝達する現象学者が世界的な言葉の概念とは違ったどんな概念をも自由に使用することができないということ、つまり彼は自然的態度の言語においてみずからを表現しなければならない、という点に存する。自由にしうるあらゆる言葉のムンダンな意味は完全に止揚されえないのであり、それはそれでただ同様にムンダンな言葉によってしか限定されえないのである。……非世界的意味を表わす表現がムンダンであることのうちにその根拠をもっている、あらゆる現象学的リポートの不十全性は、専門語を案出することによっても取り除かれえないだろう。……現象学的命題は、本質上必然的に、ムンダンな言葉の意味と[それによって]表示された超越論的意味との間の内的抗争をみずからのうちに含んでいる。」(Fink[1933=1982:96-97])

 シュッツが問題とするのは最後の結語的な一文である。シュッツはM.ファーバーに依拠しながら次のように書いている。

  「ファーバーは、ムンダンな言葉の意味とそれによって指示される超越論的意味それ自体との間には、いかなる『内的抗争(inner conflict)』も存在していないということを明らかにすることのによって、……[フィンクの]見解を的確に批判している。」(1945:257=71)

 ここに示されている問題系は、シュッツ自身が指摘しているように、むろん、現象学に特有のものではない。それは《日常言語と科学言語》との関連に端的に現われるにせよ、より一般的には、そしてシュッツの用語で語るならば、「限定的な意味領域(finite provinces of meaning)(1945:230=38)の〈あいだ〉で生起する問題系だということができる。フィンクはそこに「内的抗争」をみる。シュッツはそこに「いかなる『内的抗争』も存在していない」と断じる。だが、これは奇妙なことではあるまいか。いい換えれば、私たちは少しだけ翻って、シュッツがなぜ「諸公準」を呈示したのかを考えるべきなのだ。
  「諸公準」とは、すでにみたように「生活世界」と「科学的世界」との「変換公式」であった。通常「変換公式」が要請されるとすれば、それは少なくともそれぞれが異質であると了解されているからではあるまいか。私たちが本報告のはじめに〈方法論的な齟齬〉と呼んだ事態とは、この〈場所〉を指している。むろん、シュッツもこれら両者が同質であると考えているわけではない。だが、そうであるにも拘わらず、かれは両者の〈あいだ〉に「いかなる『内的抗争』も存在していない」という。なぜなのだろうか。この問いに、とりあえずすぐに対応しうる根拠を、1945年論文の前半にあるシュッツの「言語」規定に求めることができる。つまり、1945年のシュッツにとって、「言語は、それがいかなるものであろうと、卓越した伝達手段として、相互主観的な働きかけの世界に属しており、それゆえに言語は、それ自体の諸前提を超越する意味の媒体として機能することに対して頑なに抵抗する」(1945:233=42)ものなのである。だが、こうした〈方法論的な齟齬〉はたんなる「言語」観の問題系に還元されてすまされるべきものではないだろう。というのも、こうした事態が招来されるのは、そもそもシュッツの「多元的現実」の〈あいだ〉に関わる規定ないしは定義、いい換えれば、その基本構想そのものに起因しているからである。

  「ここで限定的であるということのうちには、変換公式(a formula of transformation)を導入することによって或る意味領域を別の意味領域に関係づける可能性は、まったく存在していないという意味が含まれている。」(1945:232=41)

ここで少しだけ「変換公式」の用語法を確認しておきたい。1945年のシュッツが用いる「変換公式」は「formula of transformation」であり、すでにみたように1940年は「equation of transformation」である。だが、こうした用語法上の差異それ自体はさして重要ではないようにおもえる。というのも、1943年では「transformation formula(1943:81=120)の表記がみられ、その意味では、「交換公式」という用語そのものはシュッツにとって安定した用語法として確立されてはいないと考えられるからである。
    さて、以上の議論をここでまとめることにしよう。シュッツは1945年論文において、一方では「生活世界」と「科学的世界」との「変換公式」をいっさい認めない。だが、他方では、すでにみたように1943年論文を指示して「ある明確な操作上の諸規則」を、つまり「諸公準」=「変換公式」を呼びだして「人間型」を方法として認める。なぜ、こうした〈内的齟齬〉が生じてしまうのだろうか。それを端的にいえば、1945年論文において、論理的定礎とでもいうべき「社会的世界」、より正確にいえば「(社会的)直接世界」を「日常生活の世界」へと置換していることに因るとみることができるだろう。シュッツはそこで「日常生活の世界(world of daily lifeworld of everyday life)(1945:218=22:230=38)を「働きかけの世界」と規定し、それを「至高の現実(paramount reality)(1945:226=34)あるいはより徹底して「あらゆる現実の原型」(1945:233=42)と位置づけ、そこに諸経験の本源性を定位する。いい換えれば、それ以外のすべての「多元的諸現実」はその派生態あるいは「擬似現実(quasi-reality)(ibid.)とみなされるのである。私たちには、ここに、こうした〈方法論的な内的齟齬〉を生じさせる躓きの石のいっさいがあるようにおもえる。

 

おわりに

  シュッツは1932年の『意味構成』で「複定立的(polythetisch)」と「単定立的(monothetisch)(1932:92=94)というフッサールの「発生的現象学」に由来する対概念を縦横に用いて、社会的世界の多様な志向性分析を行なっている。これらは「反省−意味把持に関わる態度性を二種類に区別する論点」であり、シュッツ理論にとっては〈社会的世界を分節化し−構造化する原理〉(張江[2000:346])とみることができる。シュッツが「(純粋な)われわれ関係」あるいは「(社会的)直接世界」に諸経験の意味の本源性を求めるのも、そこが「複定立的な」態度性を十全に確保しうる可能性を有していると考えられているからである。また、「主観的意味」と「客観的意味」との差異も、この態度性のそれに対応しているといえる。1945年論文においても、この視点は決して手放されているわけではない。そうであるにも拘わらず、すでにみたとおり、シュッツの理路は〈方法論的な齟齬〉を招来してしまう。これをひとつの〈謎〉と呼ぶとしたら、その解決は、シュッツ理論の全体像を確定化していくというより大きな問題系において再検討されなければならないことを意味しているだろう。

 

シュッツ文献対応一覧

1932Schutz(1932=1982)   1940Schutz(1962=1983)    1943Schutz(1964=1991)

1945Schutz(1962=1985)   1953Schutz(1962=1983)    1954Schutz(1962=1983)

 

引用文献

Fink, E.  1933  Die phaenomenologische Philosophie Edmund Husserls in der gegenwaertigen Kritik, in: Kant-Studien XXXVIII. 1982 小池稔訳「エトムント・フッサールの現象学的哲学と現代の批判」『フッサールの現象学』新田義弘・小池稔訳、以文社

張江洋直 1988 「A.シュッツと〈三つの公準〉」『東洋大学大学院紀要』25

張江洋直 1991 「シュッツと解釈学的視座」西原和久編[1991]『現象学的社会学の展開』青土社

張江洋直 2000 「A.シュッツの方法論と〈現在〉」『現代社会理論研究』10、人間の科学新社

Husserl, E. 1954 Die Krisis der europaeischen Wissenschaften und transzendentale Phaenomenologi,Husserliana Bd.VI.1974 細谷恒夫・木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央公論

片桐雅隆 1993 「シンボリック相互行為論と役割理論」佐藤慶幸・那須壽編[1993] 『危機と再生の社会理論』マルジュ社

丸山高司 1985 『人間科学の方法論争』勁草書房

丸山高司 1986 「社会科学における『科学的世界』と『生活世界』」『現象学年報』3、北斗出版

那須壽   2001 「日常生活世界と科学の世界のあいだ」船津 衛編『アメリカ社会学の潮流』恒星社厚生閣

西原和久 1996 「シュッツとエスノメソドロジーの視座」北川隆吉・宮島喬編『20世紀社会学理論の検証』有信堂

Schutz,A. 1932  Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt, Springer, 2nd edition,1960.[Suhrkamp, 1974]= 1982 佐藤嘉一訳『社会的世界の意味構成』木鐸社

Schutz, A. 1962  Collected Papers I, Nijhoff. 1983  渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集』』第1巻、マルジュ社: 1985 渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集』第2巻、マルジュ社

Schutz, A. 1964  Collected Papers U, Nijhoff.1991  渡部光・那須壽・西原和久訳『シュッツ著作集』第3巻、マルジュ社

Wilson,T.P.[1970] Normative and Interpretive Paradigms in Sociology, in J. D. Douglas(eds.), Understanding Everyday Life, Routledge and Kegan Paul.