メディア変容と社会変容        (「情報メディア入門」03)
2001年4月6日
張江洋直


 *メディア変容と社会変容(変動)とは、ただちに相関するものではないが、メディア変容は、社会変容(変動)の一つの重要な要因である。
 
 

1. メディアの変容と経験・生活・社会の変容とを関連づける発想

a)メディアの歴史は「感覚器官の拡張」の歴史である。M.マクルーハン『メディア論』
「いかなる技術も徐々に完全に新しい人間環境を生み出すものである……。環境は受動的な包装ではなくて、能動的な過程である」(McLuhan[1964=1987:ii])

マクルーハンにとって「メディア」とは「われわれ自身の拡張したもののこと」であり、「われわれ自身の個々の拡張」とは「新しい技術のこと」(McLuhan[1964=1987:7])である。たとえば「衣服は皮膚の拡張であり」(McLuhan[1964=1987:120])、「機械化」とは「人間の外なる自然あるいは人間の内なる本性を、増幅させ特殊化した形式に移し変えたものに他ならない」(McLuhan[1964=1987:59])。
簡略化すれば、マクルーハンの「メディア論は、メディアの技術的な変化がそのまま人間自体を変化させるという発想」であり、「道具が手の延長であるように、活字メディアも電子メディアも、人間の延長だという」(小阪[2000:31])ことになるだろう。

*メディア(経験を媒介するもの)の変容と定着は「感覚」を再構成する。
Ex.「道具」は「手」の延長。
            「鳥瞰のイメージ」……「神秘体験」から「電気メディアによる大衆化」へ
*直截の「技術決定論」は誤謬である。なぜならば、「新しい技術」は、それとして〈そこに?在る〉のではなく、あくまでも身体をもった個々人によってそれぞれに〈生きられる〉という仕方においてしか、この社会的世界に存立する場所をもたないからである。

b)メディア(経験を媒介するもの)と社会的構成の相関関係
J.W.オング『声の文化と文字の文化』藤原書店
「声の文化にとっては、学ぶとか知るということは、知られる対象との、密接で、感情移入的で、共有的な一体化をなしとげる、ということを意味する。……書くことは、知られる対象から知る対象を切り離し、そうすることによって、『客観性』の条件をうちたてる。その客観性とは、知られる対象に個人的に関与せず、そこから距離をとるという意味である。……口語の語り手たちがもっているような『客観性』は、きまり文句的な表現によって強いられるところの客観性である。つまり個人[聞き手や語り手]の反応はたんに個人的な、あるいは『主観的な』反応として表現されるのではなく、むしろ共有的な反応のなかにすっぽりとくるまれたものとして表現される。つまり共有的な『たましい』にくるまれたものとして表現される。」(Ong,Walter J.:1982=1991:101)

*ここから、音声メディアは共同体をつくる、という結論がもたらされる。また、オングは印刷メディアよりも〈書くこと〉そのものから〈個人〉の生成=近代社会をみる。しかし、オングは〈書くこと〉における「修辞から内的表現」への歴史的・社会的変容を明確に捉えていないために、〈書くこと〉を近代性(自己表現)に自明的に狭めている。

マクルーハンの議論はたんなる「技術決定論」だが、「メディアの変容と経験・生活・社会の変容とを関連づける」発想は妥当である。
 

2. メディア決定論あるいは技術決定論の問題性
社会的な複合的で重層的な諸力『メディア論』吉見俊哉・水越伸[1997]

「エレクトリック・メディア……は、情報技術の発達によって変化するだけではなく、国家や資本の編制力から、市民、あるいは大衆の想像力にいたる、複合的で重層的な社会の諸力の錯綜した結果として、今日のような姿に固定化させられてきた」(水越[1996:186-7])

たとえば、今日ではパーソナル・メディアとみなされている電話は、その草創期である「1880年以降、……欧米の大都市で急速に馴染みのあるものとなっていくが、それは何よりも有線ラジオ的な娯楽メディアとしてであった」(吉見・水越[1997:79-80])。
また、私たちにとってマス・メディアであるはずの「ラジオは、ラジオとは呼ばれずにワイヤレス(無線)と呼ばれていたが、このワイヤレスは音声の受信機能と同時に送信機能も備わった、まさにインタラクティヴなメディア」(水越[1996:192])であった。それが一方向的な受信専用機に転じたものが「ラジオ」にほかならない。
こうした事実は、あるメディアあるいは技術の社会的な存立様態がその特性とみなされる性質(技術特性)から必然的に帰着するのではないことを明示するだけでなく、それがじつに多様な社会的要因の重層的な関係によって規定づけられてあることを雄弁に語っている。

*技術決定論への対抗としての「諸個人の主体性なり文化−社会の決定論的優位性なりの主張」もやはり問題がある。

3.メディアと経験の転位
「電話が社会にもたらしたもっとも意外な影響は、赤線地帯を廃止しコールガールを生み出したことだ。……電話があらゆる仕事から中心というものを消失させ、特定地域に限られた売春のみならず、そもそも位置や場所を争うということそのものを終結させる力をもつ」(McLuhan[1964=1987:274])。

* 電話の社会史………電話の戦後史(〈外部〉から〈内部〉へ)(吉見・若林・水越[1992])
 
 

参考文献
McLuhan, M. [1964]  Understanding Media, McGraw-Hill.=[1987]栗原裕・河本仲聖訳『メディア論』みすず書房
水越伸 [1996]「情報化とメディアの可能的様態の行方」吉見俊哉編『メディアと情報化の社会学』(『岩波講座 現代社会学』第22巻)岩波書店
Ong, Walter J.[1982] Orality and Literacy.=[1991]桜井直文はか訳『声の文化と文字の文化』藤原書店
吉見俊哉・水越伸[1997]『メディア論』放送大学教育振興会
吉見俊哉・若林幹夫・水越伸[1992]『メディアとしての電話』弘文堂


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