技術決定論は、なぜ破綻するのか?         (2001年度「総合研究」社会系講義01)
2001年4月13日
張江洋直
1.技術決定論の典型の一つである「IT革命論」
《情報技術の飛躍的な革新がさまざまに社会を変える》〉

《飛躍的に革新された情報技術はさまざまに社会を変える》〉

《技術は社会を変える》〉……技術決定論
 
 
  「新たな技術革新は、時代を大きく変化させる」。しばしば耳にするフレーズである。しかし、私たちはここでまず立ち止まって考えてみなければならない。なにか新しいテクノロジー が開発されると、それは必ず社会に定着し、社会を変化させる、という発想は、本当 に正しいのだろうか?  
                                                                                                           (黒崎[1999:18])

 

2.技術決定論の問題点
a) 技術は〈社会的な普及〉を介在させなければ、そもそも社会変容を生じさせない
〈技術が社会を変えるとは限らない〉。
より正確にいうならば、〈技術が社会を変える〉ためには、少なくともその技術は社会的に〈普及〉しなければならない。しかし、ある技術が〈普及〉するかどうかは、その技術そのものとはなんの関係もない。
 「技術予測」……「技術実現予測」と「技術普及予測」との区別(黒崎[1999:20-21])
 
 

       例えば、この技術がいくらまで安価になればこの程度普及する……といった言説は、あ
       たかも技術について予測しているように見えて、じつは、人々の欲望や購買行動は変わ
       らないから、このくらい安くなれば買うだろうということを前提にしている。つまり、
       技術普及予測は技術の予測をしているように見えて、じつは……社会の構造が変わらな
       いとか、社会の構造がこのように変わっていくということの認識がなければ……不可能
       なのである。                                                                                (黒崎[1999:21])

 

b) 技術特性と社会的な存立様態とは、直接に関係しない
*たとえば、今日ではパーソナル・メディアとみなされている電話は、その草創期である「1880年以降、……欧米の大都市で急速に馴染みのあるものとなっていくが、それは何よりも有線ラジオ的な娯楽メディアとしてであった」(吉見・水越[1997:79-80])。
*また、私たちにとってマス・メディアであるはずの「ラジオは、ラジオとは呼ばれずにワイヤレス(無線)と呼ばれていたが、このワイヤレスは音声の受信機能と同時に送信機能も備わった、まさにインタラクティヴなメディア」(水越[1996:192])であった。それが一方向的な受信専用機に転じたものが「ラジオ」にほかならない。
*こうした事実は、あるメディアあるいは技術の社会的な存立様態がその特性とみなされる性質(技術特性)から必然的に帰着するのではないことを明示するだけでなく、それがじつに多様な社会的要因の重層的な関係によって規定づけられてあることを雄弁に語っている。
 
 

3.「社会決定論」の問題点
*技術決定論への対抗としての「諸個人の主体性なり文化?社会の決定論的優位性なりの主張」もやはり問題がある。
↓「社会決定論」
(「社会のしくみのほうが、技術の使い方を決定すると考える立場」(黒崎[1999:19]))
・両者は「おそらく同じ欠陥を有している……。それは、両者とも最初に社会と技術をそれぞれ独立の項として捉えて、そのあとで優劣関係・影響関係を論じるという構造になっている点である」(黒崎[1999:27])

*社会・人間・身体etcを〈固定化〉して捉えるのは誤謬である。
↓メディアの歴史は「感覚器官の拡張」の歴史である。M.マクルーハン『メディア論』
 
 

       いかなる技術も徐々に完全に新しい人間環境を生み出すものである……。環境は受動的
       な包装ではなくて、能動的な過程である。                     (McLuhan[1964=1987:ii])

 

マクルーハンにとって「メディア」とは「われわれ自身の拡張したもののこと」であり、「われわれ自身の個々の拡張」とは「新しい技術のこと」(McLuhan[1964=1987:7])である。たとえば「衣服は皮膚の拡張であり」(McLuhan[1964=1987:120])、「機械化」とは「人間の外なる自然あるいは人間の内なる本性を、増幅させ特殊化した形式に移し変えたものに他ならない」(McLuhan[1964=1987:59])。
 
 
 
 
 

参考文献
張江洋直(2001)メディア変容と〈マス・リテラシー〉――〈公共性〉への問いの前梯として(『稚内北星学園大学紀要』第1号)
黒崎政男(1999)メディアの受容と変容(黒崎ほか共著『情報の空間学』NTT出版)
McLuhan, M. (1964)  Understanding Media, McGraw-Hill.=[1987]栗原裕・河本仲聖訳『メディア論』みすず書房
水越伸 (1996)情報化とメディアの可能的様態の行方(吉見俊哉編『メディアと情報化の社会学』(『岩波講座 現代社会学』第22巻)岩波書店)
佐藤俊樹 (1996) 『ノイマンの夢・近代の欲望』講談社
吉見俊哉・水越伸(1997)『メディア論』放送大学教育振興会
 
 


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