偏狭マスコミが日本を犯罪王国にする
−−「通信傍受法」をめぐる報道について−−

 2000年度    N.B.

平成11年5月25日に成立した組織犯罪対策法案の一つの「通信傍受法」が先日8月15日に執行された。昨年の「通信傍受法」が国会で成立したときメディアは様々な反応を見せた。産経新聞、読売新聞は社説でいたって良心的なことを書いていたが、相変わらず毎日新聞と朝日新聞はろくでもないことを社説で書きたてていた。

なにが「いわゆる盗聴法」だ。「盗聴法」なんてもはや偏狭な考えの持ち主しか使っていない言葉である。

この法律では、通信の傍受ができる犯罪が「集団密航」「集団殺人」「麻酔・覚せい剤」「銃器関連犯罪」限定されている。また、被疑者と知らずに電話をかけた「一般市民」の会話も盗聴されるというが通信傍受法は、具体的な犯罪があり、他の捜査手段がない場合に最後の手段として行うものであり、犯罪にかかわる電話番号等を令状で特定し(一令状に一番号)、その電話等における犯罪の実行に関連する通話のみが傍受の対象になる。一般の市民がこのような犯罪や電話に関係することはおよそ考えられない。また、通信傍受は、厳しく制約された裁判官の令状に基づき、立会人の常時監視のもとに実施される。手続は極めて厳格である。犯罪と関係のない一般市民の通話が広く傍受されることはあり得ないのである。仮に、「一般市民」が被疑者と知らずに電話をかけても、犯罪と関係のない部分は記録もされない。関係のない場合知らされないのは、通知を行うためにだけ、犯罪と関係のない通信の当事者を特定するための捜査を行うことは適当ではないからなのである。このようなことからも、「無原則に市民生活を盗聴する構造」でないことは明らかだ。
もし、これ以外の犯罪や、犯罪でもないことにまで適用されること、または不当な拡大解釈があれば、その時はキャンペーンを張って反対すればいい。それだけなのである。

また、「平気でウソをつく警察」と非難するのであるならば、「マスコミ」という公器を運用する人間も当然信頼が厚くなければならないのではないだろう。しかし、痴漢、強制わいせつ、のぞき、タクシー強盗、脅迫、暴行傷害、殺人未遂、これらはこの一年間の偏狭マスコミとその関係者が起こした事件である。
これだけの犯罪者を社員や関係者に抱えているマスコミさらさら信用できない。警察を批判するならば「他人のふり見て我がふり直せ」である。

それに通信傍受法に問題があるならば世論が黙っていないであろう。だいたい、通信傍受法の問題を伝えない、とか、必要とする雰囲気を助成するということが、この法案は組織犯罪の摘発には必要不可欠でかつ法律自体もかなり厳正なものなので反対のしようがないだろう。偏狭マスコミと知識人の異常なまでのいらだちようは一体なんなのだろうか。何を恐れているのか。わかりやすいことに世論の反応はきわめて常識的であった。また、通信傍受法の批判報道も笑えるほど支離滅裂で納得のできる政党な批判ができないところをみれば一目瞭然である。「一般市民」のほうが偏狭マスコミや変な進歩的知識人よりも何と賢いことだろう。

偏狭マスコミと進歩的知識人は何が何でも「反権力」の姿勢である。つまり、「悪い国家」と「善良な市民」としか考えてない。通信傍受法の時には必要性が全く無視して「無防備に盗聴される」だの「盗聴の危機感がない」だの、常に自分が監視され、世間の注目を集めているのではないかと思いこみ、病的ともいえるほど被害妄想、幻覚を抱きわけのわからない言動をとっている。自分では「公正中立」といいながら、国家が行うことは何が何でも反対。国家の行うことは「悪」。その割には対案を全く出さない。二言目には「人権が何とかになる」とか。客観的な判断ができない。いや、しようともしない。とにかく狭い範囲でしかものを見ない。こんなマスコミや知識人のどこが「公正中立」だ。「権力」をまともに監視できるわけがない。そんなことばかり言っているマスコミと知識人は信用できたものじゃない。

欺瞞的な進歩的知識人、偏狭なマスコミどもに対しては心底腹を立てている。国家の秩序や安全よりも個人の自由(いやエゴイズムというほうが的確かもしれない)が大事で秩序や安全なんかどうでもいい。いつも庶民一人一人に害が及ぶかのような誇張した大ウソを宣伝してまでもこの国の公共性を乱したがる。いつも同じ調子のプロパガンダ。日本だけは組織犯罪に有利な自由な国でいいですとい言論がまかり通る。

早く自分たちの虚構に気づいて欲しいものだ。